由緒・歴史

備中国総社宮の御祭神

大名持命(おおなむちのみこと:大国主命の別名)
須世理姫命(すせりひめのみこと:大名持命の奥様)
神祇官斎祠御霊鎮八神
・高御産霊神(たかみむすびのかみ)
・神産霊神(かみむすびのかみ)
・魂留産霊神(たまとめむすびのかみ)
・生産霊神(いくむすびのかみ)
・足産霊神(たるむすびのかみ)
・大宮売神(おおみやのめのかみ)
・事代主神(ことしろぬしのかみ)
・御膳神(みけつかみ)
備中国内三百二十四社の神々

備中国総社宮の由緒

総社宮の創建は不明である。平安時代末期、国司が赴任してきた際、備中国中すべての神社の巡拝を行っていた。しかし、巡拝の手間を省く為、国府の近くに備中国内三百二十四社の神社を勧請し、お祀りした。 室町時代には細川家・毛利家に崇敬を受け、また、氏神的神社の形態を帯びてゆく。江戸時代には地元豪商らの寄進が相次ぎ、繁栄した。明治時代に、県社に列格した。 平成六年には総社(跡)が総社市の重要文化財に指定をされている。
history

総社宮年表

延長5年(927年)
摂社である野俣神社(現沼田天満宮)の名前が延喜式神明帳に載る。
正長2年(1429年)
總社宮が再建された。
天正9年(1582年)
清水宗治公が社司代(総代長)をつとめる。
元和元年(1615年)
本殿が再建される。
貞享4年(1687年)
本殿・拝殿が再建される。
貞享5年(1688年)
彩色二四孝の絵馬が奉納された。
明和3年(1766年)
武者の図(円山応挙作)が奉納された。
弘化4年(1847年)
力石が奉納される。
明治5年(1872年)
總社宮が県社になる。
昭和10年(1935年)
社務所等新築される。神饌所が再建される。
昭和52年(1977年)
本殿焼失。
昭和54年(1979年)
本殿が再建される。
平成6年(1994年)
総社(跡)が総社市重要文化財に指定される。